RSS 鈴木宗男の活動報告

  • 7月18日(金)
    全国遊説していて多くの人から「参議院選挙、全国比例区の自民党候補者は官僚の天下りとも言うべき人、各産業団体の既 […]
  • 7月17日(木)
     昨日の日記で参議院議員選挙全国比例区の弊害について触れたが、多くの方から「参議院が身近に感じないのは大きな組 […]
  • 7月16日(水)
     報道機関が一斉に、土、日行った世論調査の結果を流している。自民党に対して極めて厳しい数字になっているが、後は […]
  • 7月15日(火)
     報道各社が世論調査をもとに流れを報じており、自民党にとって厳しい数字である。 戦後80年、その大部分を自民党 […]
  • 7月14日(月)
     8時から神戸市三宮駅前で朝立ち、街頭をする。兵庫選挙区で立候補している加田ひろゆき候補と一緒にお願いする。  […]

鈴木宗男最新情報

政治の目的、究極は世界平和である。
不屈の精神 なにがあっても負けない。

私は1983(昭和58年)に国会議員になり、一貫してソ連・ロシアと向き合ってきました。特に1990年(平成2年)外務政務次官となった時にはソ連のゴルバチョフ大統領の来日、ソ連崩壊、ロシア誕生と歴史の現場に立ち会いました。プーチン大統領が就任後に会った初めての外国の政治家は私です。

「鈴木宗男といえばロシア」といわれるように、今日まで一筋の道を歩んできました。いや、歩んでいると自負しています。
周りからは『票にならない』、『解決は難しい』などと言われてきたこともあります。実際に、そうかもしれません。
しかし、誰かがやらなくてはいけない。それが、日本の国益ならば、明日の日本を創るならば、その一心で政治生命をかけて取り組み、活動をしてまいりました。
しかし、一部の外務官僚の情報操作と、それと手を握った検察官僚、そして根拠のない報道によって失脚させられました。
それでもなお、日露平和条約締結と北方領土問題解決を政治家鈴木宗男の最後の仕事としたいのです。
元島民の平均年齢は89歳を超えています。時間との闘いです。「ふるさとの地に眠る先祖の墓に手を合わせたい」、そんな皆さんの想いに応える政治家がいないといけない。
「ロシアの代弁者だ」などと、批判を受けることもあります。それでも私は、目の前の元島民の皆さんの想いを誰よりも知るものとして、日露のパイプ役として日本のために全うしたい。
「頑張ります」という政治家はたくさんいても、本当に働いてきた政治家がいかほどいるのか。
日本人のために、日本のために、そして世界の平和と安定のために。
そんな想いで私は最後の男の闘いに挑みます。今の政治に喝をいれ、本物の政治のあるべき姿を示すために。

鈴木宗男の政策

これからの日本は、どう進むべきか。
しっかりと立ち止まって、あるべき姿を考えるタイミングだと思う。
日本の美徳、日本の道徳、日本人らしい生き方、考え方。それらをもう一度見直し、国民みんなで考える。そのために政治があるのだと思う。


北方領土問題に喝!!

日露関係が過去最悪とも言われる今だからこそ、これまでの経験や人脈を駆使し、平和条約締結そして領土問題の解決を進めます。平均年齢が89歳を超える元島民の皆さんの想いを私が形にします。

農林水産・政策に喝!!

一次産業は単に食料生産だけではなく、安全保障、国土保全、観光など多面的な機能があります。いかなる時も国民に安心・安全・納得の食料供給のためにも、国内生産基盤体制の確立、担い手対策にも繋げます。思い切った予算で真の食料安全保障を目指します。

インフラ整備に喝!!

相次ぐ災害から国民の生命と財産、そして経済を守り抜きます。そのためには、インフラ整備が不可欠です。また、働き方改革や物流課題への対応、陥没事故で浮き彫りになった維持・管理の問題など、新しい技術も取り入れながら強くしなやかな日本を築きます。

不条理な社会に喝!!

密室での取調べ、長期拘留、自白の強要、捜査当局による証拠のねつ造・改ざん、刑事司法の闇を解決しなければなりません。私自身、国策捜査で逮捕された経験があるからこそ、不条理に苦しむ声なき声に応えます。
2010年、袴田巌死刑囚救援議連を立ち上げ、R6年、逮捕から58年を経て無実確定に繋げました。R7年6月には、法務大臣による姉・ひで子さんへの謝罪を実現しました。
正直者が報われ、えん罪、差別、偏見のない社会を目指します。再審法の改正を成し遂げます。

社会保障制度に喝!!

全世代型社会保障の構築のためには、現役世代の努力が報われる支援と制度の構築が不可欠です。年金、医療、介護などに国民の努力と汗の結晶たる血税がどのようにつかわれているのかを可視化し、安心と納得を得た、持続可能な社会保障制度を確立します。

政治改革に喝!!

「議員一人につき月100万円といわれる文書通信交通滞在費の使途を公開し、領収書添付を義務化します。」これは、私が長年訴えてきた政治改革の1つですが、R7年の通常国会において法改正を実現しました。役所の外郭団体を撤廃し、税金の無駄遣いを見直します。ポストや肩書きにとらわれない鈴木宗男だからこそ、為すべきことを為す。忖度なしの改革に挑みます。

地方創生に喝!!

アイヌ文化の尊重と共生共存の社会を目指します。地域医療の崩壊を食い止めるためにも、医師や看護師不足対策、ドクターヘリの配備体制の充実などを進めます。また、ドローンなどによる薬の配送など、規制改革と新技術実装を進めていきます。子ども達の自殺、虐待、ひきこもりや不登校など、地方の山村留学などを推奨し、すべての子どもたちに安心できる居場所をつくります。

鈴木宗男の想い

昔は良かったと言うつもりはない。未来はもっといいはずだ。 私には夢がある。 勝ち組も負け組もなく、都会でも地方でも、子どもも老人も、みんなが笑顔で過ごせる世の中を実現したい。ひとりが笑顔になれば、家庭に笑顔が生まれ、地域に笑顔が生まれ、国に笑顔が生まれる。 そしてその笑顔が世界に広がっていってほしい。 この夢を実現するためなら、何度転んでも、鈴木宗男は起き上がり、前に向かって進んでいく。

ライフワークである北方領土問題の解決はもとより、国民の目線とかけ離れている政治、言葉に力や責任が薄れている政治家、そして不作為が目に付く官僚にしっかりと物申していく。

それが北海道のため、日本のためになる、と信じている。

鈴木宗男署名

鈴木宗男のプロフィール

昭和41年3月北海道立足寄高等学校卒業
昭和44年9月衆議院議員中川一郎秘書
昭和45年3月拓殖大学政経学部卒業
昭和58年12月衆議院議員初当選(35才)し、今日まで当選8回
平成元年6月防衛政務次官1期目(宇野内閣)
平成元年8月防衛政務次官2期目(海部内閣)
平成2年12月外務政務次官(海部内閣)
平成3年10月ムネオが実現しました。杉原千畝氏の名誉回復 反対する外務省を説得し、ユダヤ人6,000人にビザを出し命を救った人道的行為を讃える。
平成5年6月防衛政務次官3期目(宮沢内閣)
平成9年9月国務大臣 北海道・沖縄開発庁長官(49才橋本内閣)
平成9年12月ムネオが実現しました。学童疎開船「対馬丸」の発見 遺族会より学童疎開船「対馬丸」の捜索依頼をうける。搜索を拒む厚生省(当時)を説得。科学技術庁、防衛庁(当時)の協力を得て発見を実現。対馬丸記念館建設に尽力。
平成10年7月内閣官房副長官(小渕内閣)
平成11年10月自民党総務局長(小渕総裁・森総裁)
平成14年1月衆議院議員運営委員会委員長
平成17年8月地域政党新党大地結成 同代表就任
平成21年9月衆議院外務委員長
平成22年8月衆議院議員在職25年永年議員表彰
令和元年
7月
参議院議員通常選挙当選(全国比例区)9年ぶり国政復帰
鈴木宗男のプロフィール
鈴木宗男の原点

故郷足寄町の実家は、当時では中くらいの規模の農家だったはずだ。
それでも、子どもの頃の食事は米に、麦や稲きびを混ぜたごはんに漬物とみそ汁。暖房と言えば薪ストーブ。冬の朝は家の中まで氷点下になっていた。
電気が通ったのは前々回の東京オリンピックの3年前、昭和36年だ。それまではランプで灯りをとっていた。

両親は毎日朝から晩まで働き詰めだった。学校がない日は、牛や馬の面倒をみて、畑仕事を手伝う。夏休みになると毎日それが続くので、早く学校が始まって欲しいとさえ思ったものだ。
家族総出で朝から晩まで毎日毎日働いても、決して生活が楽になることはなかった。

修学旅行で2泊3日かけてやってきた東京はまるで別世界だった。舗装された道路に、見たこともないほどの数の人。地下鉄に、空を見上げれば高層ビルが立ち並ぶ姿に、「同じ日本なのか」と思った。都会と田舎の格差に大きな衝撃を受けた。この差を少しでも埋めることができるとしたら、それは政治の力だと思った。

北海道の風景

昭和43年の成人式のとき、北海道足寄町広報誌に掲載された私の文章である。

「政治を考え討論しよう」 鈴木宗男

歴史においても時代、時代の一区切りがあるのと同じく、我々人生においても区切りがあり、その一段落ともいうべき成人式を迎えるに至りました。
何よりも幸運に思うのは明治維新百年、開道百年に成人を迎え、大きな時代の区切りと人生の区切りがあたかも合致したことであります。
ゆえに明日の郷土を背負ってゆくのは、我々のゼネレーションであると信じ、又、責任を感じる次第であります。

我々がこの世に誕生したときを振り返ると、日本は敗戦後の復興におおわらわであり、又、平和がよみがえったというので、後にベビーブームなる現象をつくったのである。
よく成人いたしますと「これで選挙権」があるんだということを耳にします。国家はそれだけ、20歳に社会的信用と責任を与えるのであり、我々もその重大さに身をもって立ち向かわなければなりません。
現在、社会構造の複雑化に伴い主体性の欠如した人達があまりにも多いと思うのであります。
日常テレビや新聞で、この日本に何が起こっているかということを知ってはいるが、それについて自分の頭で考えた、たとえ幼稚でもいい、自分自身の判断というものをもっていない。
だから、この日本では、ことあるごとに一部の反対意見がクローズアップされ、それを傍観するだけである。
いまだに討論するという習慣を身につけられずにいるといった状態です。
我々、若い人達は、成人式を迎えたのを一つのステップとしてもっと国のこと、郷土のことがらについて積極的に討論する必要がある。

政治的にも一つの力を得たことでもわかる通り、社会をよくしていくのは政治の力であります。
明治維新という輝かしい歴史が、結局は、当時の若い志士たちの、お茶を吞みながらの、腹をわった討論によってでき上ったと云う真実を我々若い人達は考えようではありませんか。
若者同士がお互いに論じあい、この日本を、この我らの郷土をまちがった方向に進まないよう、成人になった今日の日を機会に考えようではありませんか。
我々には若さがあります。無限の可能性を秘めたかけがえのない宝であります。郷土の為につくそうではありませんか。

昭和43年1月 足寄町 広報誌より