RSS 鈴木宗男の活動報告

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  • 11月14日(木)
     特別国会が今日で終わった。11日無事、石破総理が決選投票で野田氏に勝ち第2次石破内閣がスタートした。 与党で […]
  • 11月13日(水)
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  • 11月12日(火)
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  • 11月11日(月)
     特別国会が召集された。衆議院の初登院の議員は国会正面玄関から入り、バッチを付けてもらう。 それぞれ格別の思い […]

鈴木宗男最新情報

政治の目的、究極は世界平和である。
不屈の精神 なにがあっても負けない。

私は1983(昭和58年)に国会議員になり、一貫してソ連・ロシアと向き合ってきました。特に1990年(平成2年)外務政務次官となった時にはゴルバチョフソ連大統領の来日、ソ連崩壊、ロシア誕生と歴史の現場に立ち会いました。プーチン大統領が就任後に会った初めての外国の政治家は私です。

「鈴木宗男=ロシア」といわれるように、今日まで一筋の道を歩んできました。いや、歩んでいると自負しています。
周りからは『票にならない』、『解決は難しい』などと言われてきたこともあります。実際に、そうかもしれません。
しかし、誰かがやらなくてはいけない。それが、日本の国益ならば、明日の日本を創るならば、その一心で政治生命をかけて取り組み、活動をしてまいりました。しかし、一部の外務官僚の情報操作と、それと手を握った検察官僚、そして根拠のない報道によって失脚させられました。
それでもなお、日露平和条約締結と北方領土問題解決を政治家鈴木宗男の最後の仕事としたいのです。
日本のために、そして世界の平和と安定のために。
そんな想いで私は最後の男の闘いに挑みます。

鈴木宗男の政策

これからの日本は、どう進むべきか。
しっかりと立ち止まって、あるべき姿を考えるタイミングだと思う。
日本の美徳、日本の道徳、日本人らしい生き方、考え方。それらをもう一度見直し、国民みんなで考える。そのために政治があるのだと思う。


北方領土問題を解決

プーチン大統領が就任後に初めて会った外国の政治家は、この私です。日露外交の先駆者として、これまでの経験や人脈を駆使、平和条約締結そして領土問題の解決を進めます。
平均年齢が、84歳を超えた元島民の皆さんの想いを私が形にします。

一次産業を守り 観光産業を振興
時代にあったインフラ整備で地方創生


農林水産業、観光、情報、道路、港湾などのあらゆるインフラ整備を強く推し進めます。かつて、「北海道の道路は人よりもクマの方がおおいと」と都会の国会議員は言ったものです。今ではその高速道路によって人、モノ、命が守られていることが証明されています。インフラ整備は自然災害に強い国土づくりでもあり、国民の生命、財産そして経済を守ります。

正直者が報われる社会の実現

国策捜査で逮捕された経験があるからこそ、見えてきた司法制度の課題があります。密室での取り調べ、長期勾留、自白の強要、証拠の改ざんなど。ここ数年間にも死刑や無期懲役判決から再審無罪に転じたいわゆる冤罪も後を絶ちません。
治安の維持や本当に公正公平な社会のためにも冤罪防止、差別や偏見のない社会を目指します。


がん対策はじめ予防医学の充実で真の健康先進国を築く

日本人の2人に1人ががんになり、日本は先進国中で唯一がんで亡くなる人が増えている国であるという事実をご存じですか?私自身、胃がんと食道がんを経験した者として、がんをはじめとする病気の予防治、治療、研究、患者の雇用継続、家族支援等の充実を使命感と共に取り組みます。また、医療格差の是正のためにAIや遠隔治療など技術開発を後押しします。

安心と納得の社会保障制度の維持・確立

年金、医療、介護などに国民の努力と汗の結晶たる血税がどのように使われているのか、徹底した情報公開で安心と納得を得ることが不可欠です。また、子どもの貧困問題、非正規雇用、格差社会、児童虐待、引きこもりなど社会保障を支える世代が抱えることで、持続可能な社会保障を築きます。

身を切る改革 役所官僚との馴れ合い阻止

議員報酬・議員定数の削減。議員一人につき月100万円といわれる文書通信交通滞在費の使途を公開し、領収書添付を義務化します。役所の外郭団体を撤廃し、税金の無駄遣いを見直します。不透明な随意契約を原則競争入札制にします。

鈴木宗男の想い

昔は良かったと言うつもりはない。未来はもっといいはずだ。 私には夢がある。 勝ち組も負け組もなく、都会でも地方でも、子どもも老人も、みんなが笑顔で過ごせる世の中を実現したい。ひとりが笑顔になれば、家庭に笑顔が生まれ、地域に笑顔が生まれ、国に笑顔が生まれる。 そしてその笑顔が世界に広がっていってほしい。 この夢を実現するためなら、何度転んでも、鈴木宗男は起き上がり、前に向かって進んでいく。

ライフワークである北方領土問題の解決はもとより、国民の目線とかけ離れている政治、言葉に力や責任が薄れている政治家、そして不作為が目に付く官僚にしっかりと物申していく。

それが北海道のため、日本のためになる、と信じている。

鈴木宗男署名

鈴木宗男のプロフィール

昭和41年3月北海道立足寄高等学校卒業
昭和44年9月衆議院議員中川一郎秘書
昭和45年3月拓殖大学政経学部卒業
昭和58年12月衆議院議員初当選(35才)し、今日まで当選8回
平成元年6月防衛政務次官1期目(宇野内閣)
平成元年8月防衛政務次官2期目(海部内閣)
平成2年12月外務政務次官(海部内閣)
平成3年10月ムネオが実現しました。杉原千畝氏の名誉回復 反対する外務省を説得し、ユダヤ人6,000人にビザを出し命を救った人道的行為を讃える。
平成5年6月防衛政務次官3期目(宮沢内閣)
平成9年9月国務大臣 北海道・沖縄開発庁長官(49才橋本内閣)
平成9年12月ムネオが実現しました。学童疎開船「対馬丸」の発見 遺族会より学童疎開船「対馬丸」の捜索依頼をうける。搜索を拒む厚生省(当時)を説得。科学技術庁、防衛庁(当時)の協力を得て発見を実現。対馬丸記念館建設に尽力。
平成10年7月内閣官房副長官(小渕内閣)
平成11年10月自民党総務局長(小渕総裁・森総裁)
平成14年1月衆議院議員運営委員会委員長
平成17年8月地域政党新党大地結成 同代表就任
平成21年9月衆議院外務委員長
平成22年8月衆議院議員在職25年永年議員表彰
令和元年
7月
参議院議員通常選挙当選(全国比例区)9年ぶり国政復帰
鈴木宗男のプロフィール
鈴木宗男の原点

故郷足寄町の実家は、当時では中くらいの規模の農家だったはずだ。
それでも、子どもの頃の食事は米に、麦や否機微を混ぜたごはんに漬物とみそ汁。暖房と言えば薪ストーブ。冬の朝は家の中まで氷点下になっていた。
電気が通ったのは前回の東京オリンピックの3年前、昭和36年だ。それまではランプで灯りをとっていた。

両親は毎日朝から晩まで働き詰めだった。学校がない日は、牛や馬の面倒をみて、畑仕事を手伝う。夏休みになると毎日それが続くので、早く学校が始まって欲しいとさえ思ったものだ。
家族総出で朝から晩まで毎日毎日働いても、決して生活が楽になることはなかった。

修学旅行で2泊3日かけてやってきた東京はまるで別世界だった。舗装された道路に、見たこともないほどの数の人。地下鉄に、空を見上げれば高層ビルが立ち並ぶ姿に、「同じ日本なのか」と思った。都会と田舎の格差に大きな衝撃を受けた。この差を少しでも埋めることができるとしたら、それは政治の力だと思った。

北海道の風景

昭和43年の成人式のとき、北海道足寄町広報誌に掲載された私の文章である。

「政治を考え討論しよう」 鈴木宗男

歴史においても時代、時代の一区切りがあるのと同じく、我々人生においても区切りがあり、その一段落ともいうべき成人式を迎えるに至りました。
何よりも幸運に思うのは明治維新百年、開道百年に成人を迎え、大きな時代の区切りと人生の区切りがあたかも合致したことであります。
ゆえに明日の郷土を背負ってゆくのは、我々のゼネレーションであると信じ、又、責任を感じる次第であります。

我々がこの世に誕生したときを振り返ると、日本は敗戦後の復興におおわらわであり、又、平和がよみがえったというので、後にベビーブームなる現象をつくったのである。
よく成人いたしますと「これで選挙権」があるんだということを耳にします。国家はそれだけ、20歳に社会的信用と責任を与えるのであり、我々もその重大さに身をもって立ち向かわなければなりません。
現在、社会構造の複雑化に伴い主体性の欠如した人達があまりにも多いと思うのであります。
日常テレビや新聞で、この日本に何が起こっているかということを知ってはいるが、それについて自分の頭で考えた、たとえ幼稚でもいい、自分自身の判断というものをもっていない。
だから、この日本では、ことあるごとに一部の反対意見がクローズアップされ、それを傍観するだけである。
いまだに討論するという習慣を身につけられずにいるといった状態です。
我々、若い人達は、成人式を迎えたのを一つのステップとしてもっと国のこと、郷土のことがらについて積極的に討論する必要がある。

政治的にも一つの力を得たことでもわかる通り、社会をよくしていくのは政治の力であります。
明治維新という輝かしい歴史が、結局は、当時の若い志士たちの、お茶を吞みながらの、腹をわった討論によってでき上ったと云う真実を我々若い人達は考えようではありませんか。
若者同士がお互いに論じあい、この日本を、この我らの郷土をまちがった方向に進まないよう、成人になった今日の日を機会に考えようではありませんか。
我々には若さがあります。無限の可能性を秘めたかけがえのない宝であります。郷土の為につくそうではありませんか。

昭和43年1月 足寄町 広報誌より